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はまぐち工務店

長岡京市河陽が丘2丁目16-13
TEL 075-951-9999
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介護リフォーム スタッフ募集中

主に介護リフォームの担当を募集しております。手摺の取付や敷居の撤去といった比較的軽作業の出来る方を求めております。

また事前に現場へ下見に行き、下地の有無や見積の作成、役所申請用の図面の作成もかねて出来る方、優遇採用いたします!

詳しくはメールまたはお電話で、お待ちしております。

モニター募集中

はまぐち工務店では、新築・改築・リノベーションにかかわらず、モニター様を募集いたしております。ご承諾いただき、ご成約頂いた方はもれなく『モニター様特別割引』をさせていただきます。

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はまぐち工務店のよもやま話

雪駄

雪駄

雪駄または雪踏(せった)とは、竹皮草履の裏面に皮を貼って防水機能を与え、皮底の踵部分に尻鉄がついた日本の伝統的な履物で、傷みにくく丈夫でかつ、湿気を通しにくいものです。

起源については諸説あるようですが、

  1. 千利休が水を打った露地で履くため
  2. 下駄では積雪時に歯の間に雪が詰まるため考案した
  3. 利休と交流のあった茶人丿貫の意匠によるもの

ともいわれています。

主に茶人や風流人が用いるものとされ、現代においては男性が着物を着る場合はほぼ雪駄が用いられます。江戸時代には江戸町奉行所の同心が必ずばら緒の雪駄を履いており、「雪駄ちゃらちゃら」(後金の鳴る音)は彼らのトレードマークでした。

現在の雪駄の踵に用いられている形状は主に馬蹄型とテクタ型が殆んどですが、江戸時代の雪駄はベタガネ型(またはチャラガネ型)という金属製の尻鉄が打ち込まれている物が一般的であり、これをチャラチャラと鳴らしながら履くのが粋とされました。

ところが、このベタガネは非常に音が響きやすい材質であり、金属製なこともあって「音が煩い」「滑りやすい」「傷がつきやすい」などの問題点も同時に指摘されていたようです。
そのような理由により、長い年月を経て改良がなされて現在のような馬蹄型とテクタ型に進化していったという経緯があります。

いずれにせよ近年ではビーチサンダルのことを「セッタ」と呼ぶこともあり、雪駄表を模した型押しビニール表に鼻緒を固定し、革や合成底を接着した軽装草履や軽装履と呼ばれる履物も出回っています。

これらの造りは雪駄というよりもヘップサンダルに近く、主にカジュアルな洋装にあわせる履物として普及しているため、本来の役目(かたち)からは遠ざかっているように思います。

2015.12.22

建前

建前

「建前」とは、ひとつに日本で建物の新築の際に行われる祭祀で、上棟(じょうとう)、棟上げ(むねあげ)、建舞(たてまい)などともいいます。

もう一つの意味あいでは建築の際での主要な柱、梁、棟木などの組み上げた状態のことを差します。

そこで「建前」が済めば大体どんな家が建つのかがわかるため、「建前」という言葉が表立った方針を意味するようになりました。

2015.11.24

はしご

はしご

みなさんご存じとは思いますが、梯子とは、昇降のための道具で「梯」や「階子」の字をあてることもあります。

階段というものが確立する前に考案されたもので、壁の表面などに立てかけて使う固い材質(木・竹・金属など)でできたものと、頂上から吊るして使う縄などでできたものがあります。

固い材質の梯子は移動して用いられることも多いが、階段の代用として建物の壁などに永久的に固定されているものもあります。

高い所へ上るのに簡単で便利な道具であるために、道具もそうだが慣用語として幅広く使われています。

“はしご酒”と言ったようにいくつかの場所を渡り歩くようなことなど、数多く使われるようになったようです。

2015.9.29

縄張り

縄張り

縄張りとは文字通り縄を張り巡らせることで、縄を張って土地などの境界線を定めたり、建物の1階平面位置を示したことから境界線や領域の意味を持つようになりました。

戦国時代以降に城のくるわや堀、石垣などの配置を定めるため、縄を張ることを意味する建築用語として《縄張り》が用いられるようになったようです。

人間社会においては、自己の支配する領域に対する言葉として《縄張り》をよく使います。

それ以外にも、地域間、組織間、分野間でグループ相互の間でそれぞれの関係する領域がぶつかりあう場合に、自己の領域の存在を主張したがることを縄張り根性あるいは縄張り意識と呼んでいます。

また近年では、パーソナルスペース、対人距離という概念も生まれてきました。

2015.8.25

棟梁

棟梁

棟梁(とうりょう)とは、組織や仕事を束ねる中心人物のこと。
建物において、棟(むね)や梁(はり)という重要な構造を譬えに用いた言葉で、昔は、武士や僧侶の社会の筆頭格を指すことが多かったようです。

現代社会では大工や石工の元締めなどを指すことが多く、尊称として扱われています。

単なる工事現場の現場監督などが棟梁と言われることはなく、親方と類義語でありますが、大工・石工以外の親方を棟梁と呼ぶことはあまりありません。

2015.7.18

普請

普請

普請(ふしん)とは、家を建築、修理すること又は道路や橋などの土木工事のことを言います。元は禅宗の用語で、寺の堂塔建造などの労役に共同で従事してもらうことを言いました。

建築に従事してもらうことを言うようになったのは「普く(あまねく)人々に請う(こう)」という意味で、多くの人々に呼びかけて労役についてもらったことに由来します。端的にいえば互助活動や相互扶助といった自治としての建設(修繕、模様替も含まれる)の為の労力や資金の提供を求める事です。

建設と言う言葉自体が明治時代に外来語を翻訳した時に出来た和製熟語でありそれまでは普請と言いました。

貨幣経済の発達前には、近隣の協力を得て家屋を立てたことから「家普請」といい、地域の事情により古くから大工と言う職業が多数存在する地域もありましたが、自治単位の人口の少ないところでは、十分の付き合い(相互扶助のこと村八分と言う言葉で知られる)の一つとして建前(上棟)には人手がいるため、お互い様として地域住民が積極的に手伝う事が当然でした。

現在でもその風習が残っているところも多く存在し、また結普請(相互扶助としての普請(結ともいう))の参加者を詳細に記録した者を「普請帳」と言います。

その他の現在でも残る例としては萱普請(屋根普請)や溝普請があり、萱普請は萱葺き屋根の葺き替えを近隣に無償にて作業してもらう事で、溝普請は用水路や排水路(どぶ)などを地域住民で清掃することが一般的に知られています。

なお様々な理由で参加できない者は炊き出しなどの費用として金銭を支払うなどとする所もありまた、ごみ集積場の清掃作業の持ち回りも新たに出来た普請(結い)といえるのではないでしょうか。

2015.6.22

部屋

部屋

部屋とは家の中を壁などでいくつかに仕切った各区画のことを言い、座敷、室、間やアパート、ホテルなど生活や宿泊に使う一区画のこと。別々に隔てた家の意味から「隔屋、戸屋(へや)」が語源になります。

通常居住性のあるものを言いますが、古くは小さい付属建物や小屋にも用いられ、物置にも「部屋」という語が用いられました。

アパートなども「家」とは呼ばず「部屋」と呼ぶことが多いですが、これは「別々の家」という意味に由来するもので、古くは長屋の一区画もそれに意味しました。力士が所属する「相撲部屋」も「隔てた家」「別々の家」に通ずるようです。

2015.4.6

埒が開く

埒が開く

埒(らち)とは囲いや仕切りの事で、主に馬場の周囲に設けた柵のことを言います。

本来は『物事の決まりが付く』や『片が付く』といった意味合いで、《埒が開く》と使われていました。

埒が進展の意味で使われるようになった由来は諸説あり、加茂の競べ馬(くらべうま)で柵が外されるのを待ちわびた一般客が発した言葉とする説。

春日大社の祭礼で金春太夫(こんばるだゆう)が祝詞を読み終わるまで神輿の柵が開かず、一般人が中に入れなかったことからとする説。等々

しかし、いずれにせよ現代では否定表現の《埒が開かない》という言い方をしてませんでしょうか?

2015.2.24

几帳面

几帳面

几帳面とは真面目、きちんとしたさま。規則正しい、正確なといった意味合いに良く使われています。

元来、几帳(きちょう)とは、平安時代以降公家の邸宅に使われた、二本のT字型の柱に薄絹を下げた間仕切りの一種です。

簾の内側に立てて二重の障壁とするほか、可動式の間仕切り・目隠しとして大きな部屋の仕切りに使ったり、参拝の折など高貴の婦人の身を衆目から隠す障壁、荷物などを見苦しくないよう隠しておく目隠しなどとしてわりに広い用途に用いられていました。

その「几帳」を支える細い柱は、角を面取りして鋭角に削り、その両側に刻みが入れてあり、この面取り法を「几帳面」といいます。

とりわけ正確な技術が必要とされたため、転じて今日のような意味になったようです。

2015.1.5

羽目を外す

羽目を外す

調子に乗りすぎて度をこすこと。

一つは、羽目とは板を並べて張ること、又は張ったもののことを言います。このきちんと並べてきれいに張った羽目ををはずしてしまうと台無しになってしまうことから生まれたという説があります。

もう一つは、荒馬の口にはめる縄のことを馬銜(はみ)と言います。馬銜ははめとも読み、これが転じたものと言われています。この馬銜をはずすと馬が暴れ出すことから生まれたという説があります。

言葉の意味合いから考えますと、羽目板を外して調子に乗ったり、度を越すような行動をとるとは考えにくいので、後述の方が実は合っているようです。

2014.11.26

踊り場

踊り場

踊り場とは階段の途中に設ける段差を設けず、広くした部分のこと。

折れ階段や折り返し階段に設けると、動作の向きが変わる際のクッションとして機能し、また転落事故の際のカベにもなります。ちなみに法規上では住宅の場合、高さ4m以上の階段の4m以内ごとに必要とされています。

さて、その(踊り場)の語源につきましては諸説あるようです。

踊り場付の階段は明治時代に西洋建築の伝来とともに採用されたもので、それ以前の階段は梯子のように一直線に伸びたものしかありませんでした。西洋建築は社交場など貴人・麗人が集まる場所で採用され、ドレスで着飾った女性がこの部分を歩くと踊っているかのように見えたことからとする説。

もう一説は、階段の先にある板の間で京都の芸子が実際に踊っていたものが、現在の(踊り場)に通ずるとする説。

以上の二説が有力視されていますが定かではないようです。

ちなみに余談ですが、階段の(段差)と(ダンサー)を掛けた説もあるようですが、これはただの『おやじギャグ』でしょう(笑)

2014.10.29

ろくでなし

ろくでなし

ろくでなしとは、一般的には何の役にも立たない人、ろくでもない人のことを言います。

そもそも『ろく』とは一般的に『碌』と書かれていますが、これは当て字です。

元来は『陸』と書き、日本で『陸』は土地が平らなことから、ものや性格が真っ直ぐなさまを意味します。

その否定として『陸でない』ということから、性格が曲がった人という意味が転じて、現在でもつかわれている『ろくでなし』の意味になったようです。

2014.09.29

束の間(つかのま)

束の間

まず束(つか)とは、2階の梁の上や、1階の床下などに立てる短い柱のことで、2階の梁の上に設ける束を「小屋束(こやつか)」といい、屋根組の母屋(もや)を支え、屋根の荷重を梁に伝える役目をします。

また1階床下に設ける束を「床束(ゆかつか)」といい、大引きを支え、束石の上に載っていて、床の荷重を地面に伝える役目をします。

一般的に、小屋束、床束の両方とも、断面寸法が9cm角程度で90cm間隔に設けられます。

ご存知の通り、《束の間》とはわずかな時間のことを言いますが、束の断面寸法が9cmということで、ちょうど指4本分程度になります。(一度測ってみてください)つまり一握り分程度の短い幅を意味し、それを時間にたとえたようです。

ただ、最近では、床束に関してプラスチック製の「プラ束」、金属製の「鋼製束」がよく使われていて、支柱部分に関しては指1本分くらいになっています(笑)

イラスト出典:(株)ポラリス・ハウジングサービス 様

2014.08.05

蚊帳の外

蚊帳の外

蚊帳の使用は古代にまで遡り、エジプトのクレオパトラが愛用していたと言われています。

18世紀にはスエズ運河の建設など、熱帯地方での活動に蚊帳が使用された記録が残っておりますが、日本には中国から伝来し、当初は貴族などだけが用いていたが、江戸時代に入ると庶民にも普及し始めました。「蚊帳ぁ、萌黄の蚊帳ぁ」という独特の掛け声で売り歩く行商人は江戸に初夏を知らせる風物詩となっていたようです。

日本ではその活用方法を就寝時に用いることが多く、簡単に取り付け、取り外しができるよう長押(なげし)のくぼみが鉤(かぎ、フック)をかけて利用されたり、また、長押に鉤を打ち付けておき、それに輪型の釣具を掛ける方式もあったようです。

現在でも蚊帳は全世界で普遍的に使用され、野外や熱帯地方で活動する場合には重要な備品であり、大半の野外用のテントにはモスキート・ネットが付属しています。

このような優れものであるがゆえ、それをもじって《蚊帳の外》とは、蚊にさされ放題の蚊帳の外に置かれるという意味、つまり部外者の立場に置かれることをいいます。蚊帳の内ではおいしい話が進行中でありながら、蚊帳という薄い布一枚でへだてられその輪に入ることができないもどかしい状況を言い表しています。裾をまくれば簡単に中に入れる蚊帳は、蚊帳の中にいてこそこそと話を進めている人々の精神的なバリアを意味しており、仲間に入れそうで入れないという微妙な疎外感が表現されています。

2014.07.03

ひのき

ひのき

辺材は淡い黄白色、心材は淡い黄褐色~淡い赤色で肌目が緻密で、独特な香気と光沢を持った木材です。

弾力性、靭性、耐朽性に優れ、狂いが少ないのが特徴で、木目が通り、斧や楔で打ち割ることによって製材できるヒノキは、古くから建築材料として用いられてきました。

既に『古事記』のスサノオ神話の中で、ヒノキを建材として使うことが示唆されています。

ヒノキの名称は、「すぐ火がつく」から「火の木」となったとの説があります。(錐もみ法で火を付けるときにヒノキを用いることも多い)。

その他、神宮の用材に用いるところから「霊(ひ)の木」、「日」は太陽を表す最も古い語形で最高のものを表すところから「日の木」とする説もあります。

いずれにしても日本人とは古くから密接な関係にあったことは間違いなさそうです。

2014.06.04

いの1番

いの1番

一番最初、真っ先にという意味。

家を建てる際に大工が書く図面には、柱の位置は点で示され、縦方向に「いろは…」横方向に「一二三…」とふっていきます。

縦と横の「い」と「一」の交点から順番で柱を建てていくわけです。

2014.05.07

かすがい

かすがい

鎹(かすがい)とは、金属製で「コ」の字の形状をしており、尖った先端部が2つある釘をいいます。

両端をつなぎ合わせる木材にそれぞれ打ち込むことにより接続する金物です。

建築において木材と木材をつなぎ合わせるための要素で、互いの材が外れぬように固定する目的に使用するさまをもじって、子供は夫婦仲を取り持つことに当てはめ、“子は鎹”ということわざが生まれました。

2014.03.24

鬼瓦

鬼瓦

鬼瓦(おにがわら)は和式建築物の棟(大棟、隅棟、降り棟など)の端などに設置される板状の瓦の総称のことで、略して「鬼」とも呼ばれていて、厄除けと装飾を目的とした役瓦のことです。

鬼瓦は、棟の末端に付ける雨仕舞いの役割を兼ねた装飾瓦で、同様の役割を持つ植物性や石、金属などの材料で葺かれた屋根に用いられるものを「鬼板(おにいた)」といいますが、鬼面が彫刻されていない鬼瓦も鬼板といいます。

鬼の顔を彫刻したものから、シンプルな造形の「州浜(すはま)」や「陸(ろく)」と呼ばれるものや蓮の華をあらわしたもの、家紋や福の神がついたものなど多岐にわたります。また、鬼瓦を作る職人のことを、鬼師と呼んでいるそうです。

ルーツはパルミラにて入口の上にメドゥーサを厄除けとして設置していた文化がシルクロード経由で中国に伝来し、日本では奈良時代に唐文化を積極的に取り入れだした頃、急速に全国に普及しました。

以前は寺院は勿論、一般家屋など和式建築には普通に見られていましたが、こちらも近年に建てられた建築物にはほとんど見られることがなくなってしまいました。

2014.02.12

釘

飛鳥時代から明治時代初頭までは、和釘と呼ばれる釘が各種建築物に用いられていました。

法隆寺の金堂から飛鳥時代の和釘が用いられていたことが確認され、これが日本で使用確認された中で一番古い釘であるといわれております。

和釘は、当初日本刀と同様に鍛造によって製作されており、釘型の金属製品を作成する鍛冶屋を「釘鍛冶」とも言いました。

人口増に伴う住宅需要の増加などから、江戸時代初頭には鋳造が主流となり、1872年頃から、西洋建築には和釘では接合力の弱さの為対応できないとし、フランスから船便による洋釘の輸入が大量に始まりました。

フランスだけではなく、イギリス・ベルギー・ドイツ・オーストラリア・アメリカと順次輸入を拡大、和釘は淘汰されてしまいました。

当初、安田工業という企業が、1897年(明治30年)に深川に製釘工場を開始したのが大規模西洋製釘の始まりとされています。当時、釘の材料となる線材を全て輸入に頼っていたため、海外からの釘の輸入価格に太刀打ちできず、また政情に輸入量も左右されていましたが、釘の安定供給を国策として官営八幡製鐵所が1908年(明治41年)線材の生産を開始。これに伴い、洋釘も国内生産で賄えるようになり現在に至ります。

今では、和釘の使用は宮大工による寺社建築の新築や修繕のみとなってしまいましたが日本人にとって釘は昔から非常に親しみがあり、糠に釘や釘を刺すといったことわざも数多く残されています。

2014.01.06

縁側

縁側

縁側(えんがわ)は、日本の和風家屋独特の構造で、家の建物の縁(へり)部分に張り出して設けられた板敷き状の通路のこと。

庭等外部から直接屋内に上がる用途をもち、欧風建築では、ベランダ、ポーチといったものが意匠的には似通っています。

また縁側について縁の下の力持ちや縁の下の鍬使い、縁の下の筍といった多くの故事ことわざがあり、障子が、薄明かりの中でその向こうの人や風景を、見えるような見えないような曖昧さの中に感じることが出来るのと同じように、内でもなければ外でもないという縁側に、空間を仕切る意識が希薄な日本家屋空間独特の曖昧さの構造を見るという親しみを持った切っても切れない日本独特の建築文化の表れではないでしょうか。

2013.12.09

大黒柱

大黒柱

築百年、二百年の歴史を刻む古民家の玄関に足を踏み入れると、まず最初に目に飛込んで来るのが土間の奥にどっしりと構える「大黒柱」です。

他の柱に比べてあきらかに太く、存在感のある大黒柱は、構造的にも家の中心にあって大きな荷重を負担しており、その姿から想像される通り、家を支える重要な役割を果たしています。

大黒柱に使用される木材は、主にケヤキ、ナラ、クリ、カシなどが多く、それら広葉樹特有の堅固で強靭な木肌からは、見た目にもより一層力強いイメージを受けます。一見すると鉄骨やコンクリートに比べてはるかに脆弱に思える木材ですが、現実には、意外と大きな強度を持ち合わせている事が知られています。

「大黒柱」は「大極柱」とも表記される事から、その語源は古代朝廷の正殿で ある「大極殿」の柱に由来するとの説もありますが、一般には、七福神の一神としてよく 知られ、食物・財福を司る「大黒様」に因縁すると言われています。

また、「大黒様」はインド・中国においては、その関連から厨房の守護神として扱われているそうで、日本でお寺のご住職の奥様を「大黒」と呼ぶのはそこから来ているそうです。ちなみに、大黒柱から見て土間を挟んで向かい側に位置しているひと廻り小さい太柱を「小黒柱」と呼びますが、それらがちょうど一対になる事から、同じ七福神の中で一組として信仰される事の多い「恵比寿様」にちなんで、「恵比寿柱」の別称もあります。

こうしてみると、大黒柱は家の構造の中心を担う機能だけに留まらず、その家の信仰の対象ともなり得る存在であり、単に空間的なものだけではなく、精神的にも一家の象徴であると言えます。確かに、「大黒柱」と言う言葉は、社会や組織において、全体を支える中心人物を暗喩して用いられる事が多く、そこが家族であれば一家の主人を示す事となります。

現代の住宅の中に大黒柱がすっかり見られなくなったのは、建築工法や様式の変化も理由にありますが、今や家族の中における主人(父親)の存在感が希薄となっている事と、何かリンクするものがあるのではないかと思うは当方だけでしょうか?

2013.10.25

敷居(しきい)が高い

敷居

まずは敷居とは…

古い時代の日本の家屋は、開き戸かあげ戸が一般的であり、引き戸に必要な敷居は用いられていませんでした。

敷居が一般化するのは、室町時代後期に個々の部屋を仕切る書院造が確立し、引き戸が用いられるようになってからであり、武家社会の浸透とともに普及してきました。

礼儀作法において、敷居は踏んではいけないものとされていますが、それほど古いものではないようです。

元々は、敷居を保護する目的で(床下からの攻撃を防ぐため等の口実をつけて)、広まったものと考えられています。そこで、室内空間を隔てる境界としての要素を持ち、慣用句としてもよく用いられていますが、本来は他人の住居に入ることを、「敷居をまたぐ」といいます。

不義理や面目のないことがあって、その人の家へ行きにくいことを「あそこは敷居が高い」とよく使いがちですが、本来の意味である「相手に不義理などをしてしまい、行きにくい」で使う人が42.1パーセント、間違った意味「高級すぎたり、上品すぎたりして、入りにくい」で使う人が45.6パーセントという逆転したデーターも出ているようです。

よって「ハードルが高い」の意味あいで「敷居が高い」を用いるのは誤りなのです。

2013.09.17

水平

昼行灯

建築には欠かせない、水平、垂直はどのようにして測られている(測られていた)のか。

現代では機器が発達し、測定誤差は人的ミス程度しか生まれませんが、以前はどのようにしていたのでしょうか?

まず水平(すいへい)とは、「静かな水面のように傾きがなく平らなさま」のこととなっています。要するに水面は水平にしか保てません。よって水面=水平ということを建築の技術に活用したようです。(建築の現場では水平の事を略して水(ミズ)と呼んでいます)

現在、広く普及している水平器は、レベルとも言われ、欧州より渡来したものです。 古い時代は直接土地に溝を掘って、そこに水を入れて水平の基準に出していたようですが、日本では、古書によると鎌倉時代の延慶2年(1309年)の春日観現験記絵(かすがごんげんけんきえ)に、準縄(みずばかり)が記録されています。

その他には、樋(とい)や屏風(びょうぶ)が用いられた等と記録にあります。

以前はこのようにして水平(レベル)を測っていたようで、先人の苦労がしのばれます。

2013.08.12

昼行灯

昼行灯

昼行燈とは、慣用句の一つです。

昼間に行灯(あんどん)を灯しても、うすぼんやりとしているところから転じて、ぼんやりした人や役に立たない人をあざける言葉として使われます。

2013.07.08

逆柱

逆柱

逆柱(さかばしら)または逆さ柱(さかさばしら)といい、日本の木造建築における俗信の一つで、木材を建物の柱にする際、木が本来生えていた方向と上下逆にして柱を立てることを言います。

古来より逆柱にされた木は、夜中になると家鳴り等を起こすとも言われていました。また、家運を衰微させるほか、火災などの災いや不吉な出来事を引き起こすと言われております。

逆に日光東照宮の陽明門はこの逆柱があることで良く知られています。柱の中の1本だけ、彫刻の模様が逆向きになっているため、逆柱であることがすぐにわかります。

しかしこれは誤って逆向きにしたわけではなく、「建物は完成と同時に崩壊が始まる」という伝承を逆手にとり、わざと柱を未完成の状態にすることで災いをさけるという、言わば魔除けのために逆柱にしたとされております。

鎌倉時代の「徒然草」には、完全なものは決して良くはない、それで内裏を造る時も必ず1か所は造り残しをする、とあります。

江戸時代には、家を建てる時「瓦三枚残す」と言ったという口伝も聞いたことがあります。

2013.06.03

三和土(たたき)

三和土(たたき)

「三和土」とは元来玄関や台所の土間の事でしたが、現代では単に土間のことを意味し、 コンクリートなどで仕上げたものを言うようになりました。

文献によりますと古くは江戸時代から用例がみられ、花崗岩等が風化した土 に石灰や苦汁(にがり)などを混ぜ合わせ、それを 固めることから「叩き土」と呼ばれていました 。

漢字の「三和土」はこれら3種類のものを混ぜ合わせたことの当て字となっており、「叩き土」を略した語が「三和土」となりました。

2013.04.30

指矩(さしがね)

指矩(さしがね)

指矩は別名曲尺(かねじゃく)とも言い、そこから、指矩で用いられている主として建築などで使われていた尺や寸の長さのことも「曲尺」と呼ぶようになりました。

「曲尺」という字を宛てるのは直角に曲がった尺(物差し)であり、金属製であることから「かねじゃく」ともいいます。

また、表に出ずに他の人をそそのかして何かをさせることも「さしがね」といいます。これは実は大工道具の指矩のことではなく、芝居で使う小道具の一種で、竿の先に針金をつけ、蝶や鼠、ひとだまなどを舞台の裏から動かすもののことであり、そこから転じた用法なのです。

ただし、大工の親方が指示を出すのに指矩を使って人や物を差していたからという説もあります。

説はいくつかありますが、本来指矩は、木造建築における「屋根の木材寸法を出すため」に一番大切な大工道具であり技術の継承でありますが、これを使えきれない大工が現状においては非常に増えており、昔ながらの木造建築を建てることが出来る職人がいなくなっている現実は見逃せません。

2013.03.25

鬼門

京都御所の北東角

鬼門(きもん)とは、北東(艮=うしとら:丑と寅の間)の方位のことで陰陽道では、鬼が出入りする方角であるとして、万事に忌むべき方角としています。他の方位神とは異なり、鬼門は常に艮の方角です。

鬼門とは反対の、南西(坤、ひつじさる)の方角を裏鬼門(うらきもん)と言い、この方角も忌み嫌われています。

鬼門は中国から伝来した考え方であると思われているが、現在では、日本(沖縄を除く)のみで忌み嫌われている方位観であり、中国風水では土地や住宅の北東方位を恐れてはいません。

江戸時代には、鬼門の方向への造作・移徙(わたまし:貴人の引越)は忌むべきとされました。

また、人々は家の鬼門の方角に桃の木を植えたり、鬼門とは反対の方角が申であることから、猿の像を鬼門避けとして祀ったりもしました。

京都御所の北東角には屋根裏に木彫りの猿が鎮座し、鬼門を封じている(猿ヶ辻)。

現在でも、家の中央から見て鬼門にあたる方角には、門や蔵、および水屋・便所・風呂などの水を扱う場所を置くことを忌む風習が強く残っています。

以上のように、鬼門は本来呪術的な意味を持つ言葉であるが、転じて「よくない結果が起こりやすい事柄」に対してこの言葉が用いられるようになっていきました。

2013.02.27

うだつ

うだつ

うだつは、日本家屋の屋根に取り付けられる小柱、防火壁、装飾など。本来は梲と書き、室町以降は卯建・宇立などの字が当てられました。

本来は梁(うつばり)の上に立てる小さい柱のことを称しましたが、そののち、切妻屋根の隣家との間についた小さい防火壁で、1階屋根と2階屋根の間に張り出すように設けられているものも「うだつ」と呼ぶようになりました。

本来、町屋が隣り合い連続して建てられている場合に、隣家からの火事が燃え移るのを防ぐための防火壁として造られたものですが、江戸時代中期頃になると装飾的な意味に重きが置かれるようになりました。

自己の財力を誇示するための手段として、上方を中心に商家の屋根上には競って立派なうだつが上げられました。
うだつを上げるためにはそれなりの出費が必要だったことから、これが上がっている家は比較的裕福な家に限られていました。

これが「生活や地位が向上しない」「状態が今ひとつ良くない」「見栄えがしない」という意味の慣用句「うだつが上がらない」の語源のひとつと考えられています。

2013.01.29

おかめ伝説

おかめ

鎌倉時代に高次という腕利きの棟梁がおりました。

その高次が大報恩寺の本堂(千本釈迦堂)を建立する際、大事な柱の寸法を間違え短く切ってしまいました。棟梁はすぐに別の柱材を探し回りましたが、どうしても見つからず困り果ててしまいました。

そのことを知った妻のおかめ(阿亀)が枡組(※)を使うようにアドバイスし、高次は無事に本堂建築の大任を果たすことができました。

しかし、おかめは女のアドバイスで棟梁が仕事を完成させたことを知られてはいけないと本堂の上棟式を待たずに自害してしまいました。高次は上棟の日、妻おかめの冥福とお堂の無事を祈っておかめの面を御幣につけて飾ったと言われています。

おかめこの話を伝え聞いた人々が、貞淑で才知に長けたおかめ(阿亀)の菩提を弔うために、大報恩寺の境内に宝篋印塔(おかめ塚)を建てました。

この言い伝えから、大工の信仰を集め今日でも上棟式にはお多福の面を着けた御幣が飾られるようになりました。

※桝組:社寺建築などの構造を支える部材で、斗(ます)と呼ばれる肘木からなっている。斗拱(ときょう)とも呼ばれる。

2012.12.03

忘れ物の墨壺

建具

「忘れ物の墨壷」と言うものをご存知でしょうか?

明治12年(1879年)、奈良・東大寺南大門が修復された折、その梁の上で墨壷が見つかった。
南大門は962年に台風で倒壊、1199年に復興しているので鎌倉時代の宮大工のものと推測される。
人は、名も無き宮大工が忘れていったのだろうと想像した。

だが墨壷は大工道具の中でも要の物として、命同様、大切に扱われてきた。
よって、そう簡単に忘れる物ではないという。
また元来墨壺は予め材木の加工において使われる物である。

おそらく棟梁が一世一代のこの仕事が最後のものと決め、その証として自分の代わりにこの門を守り続けて欲しいと願いを込め、わざと人知れずに置いてきたのではないか。
歴史に残る仕事をしたという誇りの表れだったのではないだろうか。

そしていつの頃からか、「置き去りにされた(忘れ物の)墨壷」と呼ばれるようになった。

2012.10.31